母の日に寄せて

2024年5月14日

 

母の日には

娘たちが、その生命そのもので

私の人生に持ってきてくれた贈り物を

改めて大切に思います。

 

『自分を大切にし、自分らしく生きる』ということを届けてくれた長女。

『創造する喜びと勇気』を届けてくれた次女。

 

彼女たちが、その生命そのもので届けてくれたことを

これからも大切に生き方そのものに

顕してゆきたいと

母の日にはいつも、思うのです。

 

誰もがみな、

誰かの子供として生まれてきていて。

 

誰もがきっと皆、

親の魂的な幸せを願い、生命のギフトを持ってきてこの地球に生まれてきているのだと

思うのです。

 

時にギフトは、『ギフト』に見えないこともあり、

一見葛藤のような出来事が起こされてゆくその中で

エゴや感情をかき分けかき分けるようにしてようやく見出すことができた

一瞬の煌めきを持つような可能性が、ギフトだったりもするのです。

その可能性のギフトを受け取るには、

人生を大きく変化させないといけなかったり

生き方そのものを変えなくてはいけなかったり

何かを手放さなくてはいけなかったり

こうだと握りしめていた信念を手放すことが必要だったり

新たなまなざしを受け入れることが必要だったりもすることがありますが

でも、そのプロセスそのものの中で

気づき、身についてゆくもの、初めて見えてくるより深い愛の満ちる領域こそが

大きなギフトだと思うのです。

 

時に親がそれをギフトだと気づけずに、あるいは恐れが強くて

自分自身が変わることを拒否して受け取ることができなかった時

子供の心には

どこか、しあわせにすることができなかった、という

悲しみが残ります。 あるいは、その悲しみすら自分の魂が経験したかったのかもしれません。

なぜなら深く心にのしかかるような悲しみは、こんな側面があるからです。

「深い悲しみの美しいところは、
それがあなたが誰かに対して抱いていた愛であるということ、
表すことができなかったり、
表す機会を持てなかった愛、そのものだということ」
悲しみからくるもどかしさや葛藤を感じるようなことだとしても
そこには愛を顕すことのできる余白がまだあり、
シンプルに、この悲しみを原動力としてどうすればそこに愛を顕せるか、
愛をみいだせるかに意識をむければいい、という、
ちょっと先の人生への一時停止のようなものだからです。

 

誰もがみな、誰かの子供だったのですから

ご自身にもきっと何かそんな記憶はないでしょうか?

 

『ママとパパが幸せだと一番嬉しい』

娘たちがよく小さい頃に言ってくれていた言葉です。

この言葉は、私の心の御守りのようなものです。

 

ついつい、人のこと考えて、優先して

自分を犠牲にして何でも引き受けて、人の人生の課題まで助けようと背負って”良い子”であろうとして、結果的に自分らしさから外れ、疲れ切っていた昔の自分に、

感謝を込めてさよならする決意ができたのも、

娘たちからこの言葉を受け取った時です。

 

なぜなら、

母である私が本当に自分を大切にできて、輝いて自分らしさを発揮できていないと

子供達がいつまでもいつまでも

親を喜ばせようとしたり、

余計な憤りを感じたり、

親にフォーカスをして生きることになってしまうのだろうと、

気づいたからです。

 

親である私自身が、子供達が生命そのもので届けてくれたギフトをちゃんと受け取り生きることができる時初めて

子供達は自分の人生にしっかりとフォーカスできて生きて行けるのではないかと

気づいたからです。

 

それはなかなかすぐに上手くは行かなかったし

一杯の自分の弱いところも見てきたけれども

でも、弱いところは別に悪いことではなく

その一つ一つが、自分という存在の魂を磨くための大きな贈り物だと気づくこともできてきました。

 

弱いところがあっても、

ダメなところがあってもいい、

気づいた時にどうしてゆくかの方がよっぽど大切だって、

そんな話も、大きくなった娘たちと今、できることを

とても尊く感じます。

 

この世界を

母である私が

豊かなところだと心底思って、心豊かに生きていたら

きっと

子供達も世界はそのようなところなのだと、学ぶのでしょう。

 

親である私が

子供達の優しさや思いやりを

遠慮せずに受け入れて

愛ある態度を返していれば

きっと子供達は優しさや思いやりの本質を学ぶのでしょう。

 

母である私のあらゆるものの選び方が

潜在的に子供達の最初の選び方のお見本になるのでしょう。

 

子供達に何かを伝えたい、教えたい、身につけてもらいたい、こんな風に生きてもらいたい、

そのようなことを思った時に

本当にしなくてはならないのは

それらを子供達に強要することではなくて

まずは自分が身につけて

あれこれと、試行錯誤しながらも

実践者であるその姿を

何も言わずに見せ続けてゆくことなのでしょう。

 

そして、何を受け取り

何を人生の選択肢として持ってゆくかは

子供達がまた決めてゆくことなのでしょう。

 

だから、私に今できることは

人生の中に起きてくるあらゆることを

丁寧に、精一杯生きてゆくことなのかもしれません。

 

今私の周りにいる大切な人たち。

誰一人かけても

私は私であることの喜びに

気づくことができなかったのだと、思います。

 

生まれてきてくれて、ありがとう。

世界中のお母さんへ、ありがとう。

 

母の日に、いっぱいの愛と感謝を込めて。

 

藍色の樹

青山 愛

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