流れの律動を引き継ぐということ

2025年4月25日

 

様々なエネルギー的領域には

その領域特有の律動があり

その質感、響き方、流れ方、律動の感覚は

誠にそれぞれに異なるもの。

 

ひとつところから放たれ続ける鼓動は

こうしてあらゆる律動をうみ、領域をうむ。

 

人という存在は、時にインスピレーションなどによりその律動や流れを受け取る存在。

 

そして、ひとつ忘れてはならないのは

その流れの律動を引き継ぎ地上に顕すことができる存在でもあるということ。

 

自然の響きの翻訳家
藍色の樹 青山 愛

 

 

私は、宇宙の愛の流れをとても大切にしています。

それは、祖父が亡くなる時に、ある体験と感覚で教えてくれたことがきっかけとなっています。

 

『人生は見た目通りではないということがある』

 

私たちは、目の前に起こることを自分の意識で受け取り、感覚で反応し、それがどのようなものなのかを判断するが

それは必ずしも、そのままではないということ。

 

一見、ネガティブに見えることが

本当は何かに気づくためにことが起こされていたり、

その人がその役柄を引き受けるように(大抵の場合はお互いに)生きていたり、

 

ですが、その物質的な領域から

グッと深く、細やかに、純粋に事を感じてみるとき

それは、深い決意にも似た愛から起こされていたことに気付けたり、

それは、この先の流れにあることを叶えるためにどうしても必要なことであったり

そのような、一見みただけではわかりえないということがある。

 

その両方を見る力は、

人という存在が自分という存在の心や体と繋がり丁寧にみる力により育まれるものなのかもしれないと

今までの体験から、そう感じています。

 

宇宙の流れ、あるエネルギー的な領域からの流れ、

どこが発信源にせよ、

何受け取っているエネルギーの流れがあったとして、その流れの感覚が途切れる時と、終わりを迎える時とがある。(私が感知できていないだけできっとまだまだ色々あるのでしょう)

終わりを迎える時は

まるで音楽が一曲終わった時のように

全てが静寂に戻る。

 

感覚の領域も、そして、私の中も。

 

でも、感覚が急に途切れる時、

そこにもまた、種類があることに気がついた。

 

ひとつめは、私がその流れの律動の通り道になれなかった/ならなかった時。

 

もう一つは、感覚は途切れたものの、私の中にその律動がはっきりと息づいている時。

 

流れを大切にし始めた時は、こう考えた。

これは今、やることではないのかもしれない。

今までやっていたからといって、今までと同じようにエネルギーが感じられないのにやり続けるのは違うのではないか。と。

 

でも、最近、新たに気づいたことがありました。

 

それは、エネルギーの流れを託された時。

 

私という存在の中に、しっかりとその律動が息づき、そのものとして私という存在が生き始めたら、

それは川の流れの分岐点のようなもので、

新たな流れを生み出すタイミングだということが、あるのだということ。

 

そこには創造性も、集中力も、そして信頼も必要。

 

時には癒しの力も。

 

この気づきは、新たな深い喜びです。

 

気づきはいつでも始まりだから、

これから丁寧に育み見つめてゆこうと思います。

 

大切なあなたへ。

今日も読んでくださってありがとうございます。

 

自然の響きの翻訳家

藍色の樹 青山 愛

 

 

 

 

 

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