この響き、とどきますか?

2024年4月6日

私たちは、幾つもの生を経て

今、ここに存在していますね。

 

魂の歴史の中でずっと変わらずに育んできたものというものが

人にはあります。

 

今、とても多くの方が

ご自身にとってとてもキーとなるような記憶を

思い出すということが起きています。

 

例えば私の場合はレムリアの時代やルーン文字が生まれた時代。

 

それは、私たちが今ファンタジーに浸るために思い出されているのではなく、

そこに魂の確固たる信念が生まれた起源があったりするからだと感じています。

 

そして、今はそれを手放すタイミングということ。

手放すとは、切り取り捨てるという意味ではなく、

しっかり体験しきれたからその核に見つけた真意のみを抱き次へゆく。といった感覚です。

真意とは、信念とは違いそのテーマのあらゆる側面を含んだ全体であり、その核となるエッセンス。

 

その真意を強い光の種として今、ここに創造してゆくタイミングであると感じています。

 

それぞれの魂にとって

大きな核となる記憶というものがあります。

 

私の場合はその一つはレムリアにありました。

レムリアの時代は、ずいぶん長い時を一つの命として生きていたのかな。今とずいぶん様子が違うような感じでした。

体も、前半は体もまだ半分粒子のようで、水の中なのか、地上なのか、不思議な時空間で。

私は白い鯨と、白い鹿と共にいて

そんな存在たちから何かお話を聞くように、情報をうけとるようにして

それを手のようなものを使って光の球体をうみだすということをしていました。

職業というより、なんというか純粋にそんな役割というか。

その様子がとてもとても楽しそうで、喜びそのもので。とっても印象的でした。

 

そして時が移り変わり、

それはレムリアの後期だと感じました。

体がその前の記憶よりもはっきり形に近くなっていて。あらゆる輪郭がはっきりしてきていました。

そこでね、ある日私の当時の魂は、生命の宿らないものを生み出してしまったのです。

生み出したものに生命が宿らなかったというか。

その黒い塊のようなものを前に

放心しているような記憶でした。

まだ当時は、悲しいという感情がなく

でもどうしようもなく溢れてくる何かがなんなのかわからなくて、

それを共有することもできなくて

蓋をして、記憶の奥底にしまい込んだのでした。

 

これは、私が子宮筋腫に向き合っていた際に浮上した記憶です。

子宮にずっと忘れないように記憶を宿していたのですね。

 

あまりにもあまりにも深いところに深いところにあったから

見出した時は、まるで底のない深海の果てに沈んでいるように感じられました。

生命が宿らなかった黒い塊のようなそのものは、まるで水の中なのに消して消えることのないキャンドルのようなゆらめく光を護るような形で

静かに静かに深海に横たわっていました。

 

 

ようやく私の意識がそこまで潜っていけたのだなと、感じました。

 

そこまで潜り、この存在に生命が宿らなかった悲しみを、ちゃんと味わいきり愛で包んであげたかったのだなと、感じました。

生んであげられなくてごめんね。そう伝えた時

その黒っぽい塊から響いてきていた子供のような声は仙人のような声に変わり、『ううん、ママは光をうむものなのだから。。。』と。

やがて塊から光が漏れ出して亀裂が入り、小さな小さな緑色の龍が生まれました。

あぁ、これでひとつ終えられたのだなと。なんだかとても安堵の感覚が溢れました。

 

 

光をうむものというのは、一つ目の記憶の光の球体を生んでいた喜びを思い出させてくれました。

それは今、私が自然界の響きに魂の耳を傾け、言葉や色や音に大切においている、そのプロセスとそっくりで、あぁ、本当に私はこれが好きなんだなと震えるようでした。

 

そんなレムリアに関する二つの記憶を、ふっと思い出して。

それが、私の中でとても腑に落ちたのです。

今ではない時間軸や次元の記憶を思い出すというのは、ただ純粋に今思い出し、ようやく開かれてゆく何かがあるからだと認識しています。

だから、思い出すことも、色々な時代があったり、色々な瞬間があったり、それが大切に受け取らないとただの日常の一コマのような感じだったりするのですが、

丁寧にまなざしを向ける時、そこには今の何かに大きく影響を与えてくれるような、あるいは、だからこういう癖があったのかと腑に落ちることが深い深い気づきとして受け取ることができます。

同時に、こんなにも壮大な繋がりを帯びる世界というものが一人一人の存在の中にあって

こんなにも精一杯それぞれの生の魂はそれぞれの生を生ききっていたということに。

涙が溢れそうになるのです。

 

違う生の記憶を思い出すようになった一番最初は。

お米を研いでいる際に、突然意識の中が二重になっているように沢山のたくさんの泡のような球体のような光が無数に今ここにあるのを感じて、驚いたのです。

その無数にある球体の光の中には、まるでストーリーの保管庫のように、一つ一つの中にその生のストーリーが内包されていて。

そんなことを突然感じられて戸惑ったと同時に、涙が溢れたのです。

こんなにも沢山の生をそれぞれの生を精一杯生きた魂たちが今この瞬間に共にいてくれるんだ。と。

過去生のブロックとかいう言葉を聞くと、胸が痛くなるのです。

それは、ブロックではなく、時が熟したら開けることのできる強い光が入った未来へのプレゼントの箱のようなものですから。

それを生み出すことになった生の魂も、精一杯生き切ってくれた勇気のある存在なのですから。

 

だから、このような違う生の記憶というものは、思い出すタイミングで意識下に現れるものなのだと、認識しています。

 

昨年、虹色の地球プロジェクトの一環で、Graceというクリスタルヒーリングをする流れとなり、やってみたことでまた生まれた流れというものがありました。

それは、自然界に息づく美しさに宿るソフィアという存在が見守る中、クリスタル、薬草、絶妙なタイミングで私の手元に届く植物や木々の一部、空や風や光、炎や大地のエレメンタルたち、そして空に現れるエネルギーの存在たち、星々の響きなど。。。私という存在が繋がりを育んできたあらゆる存在たちと共同のヒーリング、『Grace ソフィアの癒し』の誕生の流れです。

 

リリースする前から、”ヒーリングセッション今されていますか?”とご連絡いただいた方がいてくださり、まだ完成していないけれど、どうなるかわからないけれど、受けていただけますか?と。

そのセッションの最後の時間が昨晩でした。

このヒーリングは、一度音声だけ繋いで、クリスタルボウルやソウルサウンドライアー、チャイム類などでサウンドメディテーションをお届けしながら、クリスタルや薬草などを真っ白なキャンバスにおいていき、絵を生み出してゆきます。

たったひとつだけの特別な、アートです。

 

 

ずっとこれは薬草アートとしてハーブティーの調合の際に生み出してきましたが、薬草の要素だけでは表現が追いつかなくなってきたのでしょうね。本当に驚くほどさまざまなエッセンスが登場しますし、私に繋がりのないものですと、受けてくださる方と出会う前に新たなエッセンスが私のところにやってきたりもします。

そういうことが起きるたびに私は、この豊かな流れ道の、繋ぎ手渡すところにいるのだなと、感じさせてくれます。

そのアートに込められたストーリーに魂の耳を傾けるように、そのストーリーを一緒に旅をするように感じてゆき、その感覚を丁寧に丁寧に、感覚に言葉というものを一致させるようにおいていって生まれるのが

魂の物語の絵本のようなものです。

それはなんとも言えない豊かな響きに満ちていて。

独特の輝きを震わせていて。

こんなにも人という存在は美しいのかと、感動するのです。

 

その魂の物語の絵本が生まれたタイミングで、それをベースにお話を伺っていき、セッションを展開してゆきます。

 

人は、自分の最も純粋な響きを感じる時、自然と癒しが起こる。

私は自分自身の体験から感じ、、そして様々な先人達の叡智あふれる書物から確かさを得て、そう納得しています。

 

その純粋な響きは、一人ひとりが特別な響きを持っていて。

その特別というのは、選民性など一粒の粒子も混じっていないような

純粋な特別性なのです。

 

”謙虚であれ”という言葉が、現れたのですけれど

謙虚であるということは、人と自分を比べて卑下したり、遠慮したり、自分を押さえて他の人を優先させたり立てたりということではなく、

宇宙に対しての謙虚さのことなのです。

 

私たちは、今ここでどんな思いを持っていても、どんな思考で存在していても、どんな状態でも、

その全てを包み込むように、自然界がいてくれて、その自然界をさらに包み込む宇宙の愛というものがあります。

愛の中で私たちは生きている。

どんな状態であっても、同時にそこにサポートもあるし、見守ってくれている響きもある。

だからこそ、自分を諦めずに

精一杯自分の純粋な特別性を輝かせることそのものが、宇宙の愛に対しての謙虚さなのかもしれません。

 

宇宙の愛を思う時

その視点から人生を見ようとする時

私たちの思考では到底思いもよらないような、到底イメージもできないようなプロセスの側面が見えてきます。

全てをわかろうとせず、信じて一歩一歩を丁寧に進んでゆく謙虚さ。

 

そんなことを思いました。

長くなりましたが、ここのページに載せるには纏まっていないのですが

でも、どうしても今この瞬間のタイミングでここにこの響きをおくと。

そう感じています。

 

私たちは、純粋な特別性を持つ、豊かな存在です。

そこには上も下もなく、認めるも認められるもなく、大きいも小さいもなく。

ただ、純粋に光をはなつ美しい球体のような存在なのです。

その光の球体をどのような状態にしてゆくかは、ご自身で選べることです。

ですが、どうしても球体同士は響きあい、光あっていますから、

今、この瞬間に私たちの中で癒しが起きたのなら、その癒しはこの世界全体に届きます。

今、この瞬間に私たちの中で開放が起きたのなら、その開いた扉から溢れ出るエネルギーの放射の響きは、地球そのものに響きます。

 

今、そんなことを

私は感じ、思っています。

 

あなたは何を感じましたか?

あなたは何を思いましたか?

 

ぜひ、聴かせてください。

それは、豊かな響きの巡りをうみだします。

 

自然の響きの翻訳家

藍色の樹 青山 愛

2024年4月5日

 

 

 

 

 

Leave a Reply:

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です