受けとることが苦手な方へ
2021年5月25日
この記事は、以前に別のページで書き、下書きのままになっていたものですが、
ふと、今日公開しようと感じました。
どうぞ、必要な方に届きますように。。。
受けとることに、なぜかわからないけれど
罪悪感を感じてしまう方に向けて、今日は書いています。
私は、受けとること、甘えること、委ねることが昔、本当に苦手でした。
それがどうしてかはわかりません。
ただ、とても根深いものであり、罪悪感を持つことは自分の個性であり、一部分だと勘違いしていたように思います。
ですが受けとることができるようになっている今、
唯一言えることは、そこに私のするべき
大きな学びがあったからだということです。
当時は
受けとることに罪悪感を感じ、
迷惑をかけてしまったと感じ、
優しさに対して“ありがとう”というよりは、
“すみません”という言葉と思いを返していたことが
多かったように思います。
同時に、幼い頃から感受性が強かったのに、
なぜだかそれを出すことはおかしいこと、
自分の感性は変だから隠さなければと思ってしまっていたこと。
さらに、ネガティブな感情が
自分から出てくるのは本当に悪いことで、
そのような感情は”無くさないといけない、
“出てこないように自分を律してよくしていかない”
という思いが強かったこと。
これらは全て、周りからの抑圧というよりは、
自分自身の中でそう思い込み、
自分を抑圧するという力が非常に強かったように思います。
抑圧しきれないほどになってしまったのが、
ちょうど10年ほど前です。
当時NYに住んでおり、
環境の変化、その当時言葉が思うように通じないもどかしさ、
加えて周りで自分ではどうしようもないほどの
大きな環境的なトラブルが何件も起き、
そこから起きる多方からの大きなストレス、
次女出産の為の産前産後の
睡眠不足とホルモンの変化、
出産当日まで続いた悪阻、
仮眠すらも罪悪感からすることができず、
長女の赤ちゃん返り、
トラブルから派生する諸々の対処、
全てが重なって、それでもなお
“良い自分、良い母親、良い奥さん”でいなければいけないという
強固な抑圧をかけ続けた結果、
ある日、あまりにも精神的にも、
肉体的にも疲れすぎて、
感じることが全くできなくなってしまいました。
“良い自分”というのが、勝手に作り上げた幻想であり、本来の自分から
かけ離れていることにも気がついていませんでした。
泣きたいのに、涙が出ない。
笑っているのに心は笑っていない。
こんなに頑張っているのに。
それでも、子供たちを守らなくてはいけないし、
日々をなんとかしないといけない。
全ての感情が、水槽の中にすっぽり入ってしまったように、
まるで他人のもののようにとても遠くに存在しているようでした。
そんなおかしな状況に、どこかで危機を感じて、
週末、主人にお願いして
1時間ほど一人で静かな時間を持つことにしました。
主人はとても穏やかで思慮深い優しい人なので、
元々頼めば受け入れてくれる人なのに、それまでずっと
私自身が勝手に遠慮をして、
子供たちを置いて出かけるなんてと勝手に罪悪感を感じ、
こだわりの縄で心を縛り
その優しさを受け取れていなかったのです。
当時は必死で気がついていませんでしたが、
もう限界を超えていたのですね。
その時に、ふと手にとって
持って行ったのがこちらの本。
昔から好きだったシュタイナーの本だわと思い、
何気無く本屋さんで買ったものの
1ページも開いていなかった本でした。
『ママのための シュタイナー教育入門』
ドーリス・シューラー著
コンサートホール併設の
ガラス張りの静かなカフェで、私はその本を開きました。
その本は、まるでお手紙のような
著者のメッセージから始まっていました。
〜以下、本文抜粋です〜
正解のない子育ての日々を
今日も生きている勇気ある
日本のお母さんへ日本のみなさん、こんにちは。
私はドイツのシュタイナー学校で教師をしている、
ドーリス・シューラーといいます。
家では3人の子供を育ててきましたが、
子供が小さかった頃は、
自分の家だけがうまくいっていないんだ、とひとりでよく
まっくらな気持ちになりました。いらいらして買い物をして、
要らないものが散らかったキッチンで、
自己嫌悪に陥りました。日本をたずねてお母さん方から悩みや疑問を
たくさんうかがっていると、日本のお母さんは、ドイツよりも
もっと大変そうだなと思います。子育てのあれこれを、お母さんひとりが
背負わなければならない現実が伝わってきます。
シュタイナーの子育ては、
『こどものために』を考えながら
『わたしのために』も考えます。『わたし』の根っこがしっかりすれば、
こどももきっと安心して、
ひとりで駆けだしてゆきますよね。でも根っこはだんだん伸びてゆくもの。
最初から根っこが生えている人なんて
いませんよね。
みなぐらぐらのところから
一日一日水をあげて、ちょっとずつ、
お母さんだって成長してゆくのだと思うのです。
この本は、そういうお母さんの一日一日がテーマです。
一人一人の理想的とは限らない現実を引き受けながら
それでも自分のバランスを失わず、この日常を生きてゆく<わたし>のあり方を
シュタイナー教育はさがします。
お母さんの仕事は、どんなにがんばっていても
だれもほめてくれません。新聞にものらないし、テレビにも出ません。
ただ見えない場所で、ひとりの子供が
この地にしっかり立てるように、
一日一日をあたふたしながらすごすばかり。
でもだからこそ、
親になることで、わたしがわたしになってゆく、
わたしがわたしになることで、親になってゆく、そういう路を
一緒に探してゆきましょう。
ドーリス・シューラー
自分自身で抑圧してきた年分、泣きました。
私は限界だったんだと、ようやく気がつきました。
好きなことを思い浮かべようとしても、ただ空虚な言葉が並ぶばかり。
「わたしの根っこ」を
大切にすることなんて考えたこともありませんでした。
これが
私が私に還る路を探し始めた、最初の日です。
お子様がいてもいなくても、
あの時の私のように同じように苦しんでいる方が
もしかしたらいるかもしれません。
あれから10年も経った今だからこそ言えることですが。
今どのような状況だとしても、
必ず御自身に還る路は見つけることができます。
その大きなサポートの一つ、
または一歩として、
受けとることに罪悪感を感じることを手放すことを
少しずつでもぜひ御自身に赦して差し上げてください。
受けとることは、罪悪感を感じることではなく、
喜びの循環を生み出すことなんです。
自分自身がその”申し訳ない”という罪悪感を
愛情を持ってなんどもなんども流し去り、
人の助けや優しさを素直に受け入れられるようになるということは、
子供や周りの大切な方々が、それを見て感じて
人の助けや優しさを素直に受け入れるということ体験していくということです。
子供たち(あるいはたいせつな方々)が一生懸命考えて
私を幸せにしたいという思いで行動してくれるその思いを
ママである自分が受け入れ、心からの感謝をあらゆる方法で伝えていくことは、
本当の思いやりというものを、子供たちが学んで行けるということです。
今まで知らなかったことや出来なかったことは
自分でどんどん試してその循環を作り上げていけばいい。
とってもシンプルなことでした。
そうして自分が生み出せた思いやりや優しさの循環というものが
いつしか子供の、そのまた子供達の世代に
引き継がれてゆくかもしれません。
今、そっと内の奥底からの囁きに素直な耳を傾け、曇りのない目で見てみようとしたならば
貴方の周りにはすでに
その循環の元になる、愛や優しさに溢れていることに気づくことができるかもしれません。
どうぞ、勇気を出して
素直に受け入れてみてください。
愛溢れる循環は
罪悪感をすぅっと流し去る助けをしてくれます。
また、この本は、以下の文章で終わっています。
〜以下再び本文抜粋です〜
お母さんがこの複雑でささいなことにみちた人生のなかで、
なにを大切だと思い、そこにともる明かりを消さずに生きようとしているか。それにこどもが触れることは、本当にときどきだったとしても、
その灯りは、迷いそうになったときに
遠くからこどもを照らすでしょう。私たちが難しい日常の中で、バランスを取るということ、
まさにこの親自身の試みを通して、こども自身もそれをまねし、
自分の中にそのバランスを得ていくことができるわけです。どの状態が自分がそれに近づいていける状態なのかということ。
これを本当につかんだら、しかもつかみながら、
本当にいつもいつもそれを探していくことができたなら、
その心の姿勢から、みなさんはこどもたちを全く違う目で
見ることができるようになっていくでしょう。私たちが日常でそのように生きることを通して、
こどもたちは自分の人生を信頼できるようになっていくのかもしれませんーーー私たちがそれをしてこそ。
『ママのための シュタイナー教育入門』 ドーリス・シューラー著
あの時、この本を開くことができたこと、
あの時、涙を流せた自分、
助けてくれた大事な家族、
サポートしてくださった大切な友人たち、
道端で私やこどもたちに
笑顔で優しい声をかけてくださった名も知らぬ方々
ただ静かに美しく優しい光を届けてくれたあの日の景色
サラサラと葉を震わせ清らかな空気を送ってくれた風や樹々たち
その全ての存在へ、心からの愛と感謝を込めて。。。
植物には、私たちの五感を優しく呼び醒ましてくれる力があります。植物の力を借りるフィトセラピー、ライフツリーカードを用いたグループセッションの他、しつもん読書会も毎月開催しています。